フランクストンで3年ほど、バーテンダーの下積み生活を続けていた折、お客様の1人に中野で鶏料理屋を経営されている方がいました。
海老沼さん、言うならば中野のゴッドファーザー。ブルース・ウィリス似のコワモテです。BAR NASHにも、ちょくちょく遊びにいらしてくださっています。本当によく可愛がってもらいました。ボクにとっては親父であり恩人であり、師匠のような方です。
当時22歳のボクに、親父が放った一言、
「料理が出来て初めて、一人前のバーテンダーと言えるんだ」
昔ながらのバーテンダーは、酒を作るだけではなく、料理も当たり前のようにできた。飲食業界で生き残りたければ、料理を覚えないと仕事の幅も広がらないし、ツブシも利かない、生き残っていけない・・・という意味でした。
フランクストンで3年間を、バーテンダーとしてのイロハをきっちり叩き込んで過ごしたボクは、こうして同じ中野の鶏料理屋で調理の勉強をさせていただけることになったのです。

東京中野、軍鶏料理「竹やぶ」
親父は既に引退されて、お店は閉めていますが、「竹やぶ」では本物の軍鶏を使用していました。
鶏肉で有名なのは、三大地鶏の
- 比内鶏
- 薩摩鶏
- 名古屋コーチン
軍鶏の名前が付いている地鶏も最近では多く見かけますが、軍鶏には
- 合軍鶏
- 本軍鶏
という区分があります。
合軍鶏は、本軍鶏とその他の鶏の掛け合わせで、あくまで食用の鶏。一方、本軍鶏は闘鶏に出される軍鶏。犬と喧嘩して勝ってしまう程気性が荒く、とても群れでは飼育できません。そして、普段は決して鳴きません。鳴くときは闘いで負けを認めたときだけ。
ボクは調理師見習い。焼く、煮る、蒸す、出汁取りといった調理の基本、調理師の包丁の使い方、飲食店の衛生管理、鶏のおろし方を学びました。
中でも勉強になったのは、仕入れや原価計算といった在庫管理の仕事でした。当然のことながら、調理見習いはなかなかお客様にお出しする皿を作らせてもらえません。その代わり、毎日、従業員3人分のまかないを作るのはボクの仕事。親父から出された条件がありました。
- 一年365日、同じメニューを作ってはいけない
- 例えば、カレーだけ牛丼だけといった、一品物のメニューは認めない
- 必ず主食、汁、主菜、副菜、漬け物を付ける
- 3人分のまかないに、1日当たり使える金額は500円まで
当初は本当に苦労しました。例えば、カレーを作って次の日に残りを出すと、親父は「今日はいらねえ!」と食べてくれません・・・。
要するに、月間トータルで金額を納めればよいわけで、仕入れ、ストックの管理を直に学べたことは大きな収穫でした。
また、それまで酒を作ることしかできなかった一介のバーテンダーにとって、飲食業とは、調理とは、サービスとはと広い視点で自分の仕事を見つめるチャンスを与えてくれた親父には、感謝しても仕切れないほどかけがえのない経験です。
こうして1年間、親父の元でみっちりと調理を学び、フランクストンに店長として復帰しました。
ボクがバーのオーナーになるまで、目次
#1 ボクの原点は東京中野「フランクストン」
#2 東京中野フランクストンでの下積み時代
#3 調理修行、軍鶏料理「竹やぶ」

